山門から境内に続くへんろ道
その昔、仙遊寺には阿坊仙人が住んでいました。仙人は仙遊寺の諸堂を整え、天智天皇(662〜672)の御代の頃から、約40年間修行をしていたといわれています。しかし養老二年(717)のある日、雲と遊ぶかのように、こつ然と姿を消し、いなくなりました。
この出来事から、のちに仙遊寺という寺名になったと伝えられています。
阿坊仙人
天智天皇ゆかりの五輪塔
御本尊千手観音
その昔、竜女が海から竜登川を伝って作礼山を登り、観音像を彫り上げました。一刀三礼しながら何日もかけて完成させたのち、再び海へ帰りました。その後、旧暦の7月9日になるとなぜか竜燈がつらなり、作礼山を登って仙遊寺にあった桜の枝にかかったといわれています。 その桜は明治の頃まで現存していました。現在はそれを物語る石碑が残っています。
龍燈桜の碑
龍神窟
その昔、仙遊寺には遠く海まで聞こえる大きな太鼓がありました。その音のせいで魚が逃げると漁師のごろべえが腹を立て、仙遊寺にやってきて包丁で太鼓の皮を引き裂いてしまいました。その帰り、ごろべえはふもとの坂でころんでしまい、腰を強打、その傷が元で亡くなってしまいました。その後、その坂をごろべえ坂と呼ぶようになり、ゆっくり通ることとなりました。
その昔、栄福寺と仙遊寺とをお使いする賢い犬がいました。仙遊寺で鐘が鳴れば仙遊寺へ、栄福寺で鐘が鳴れば栄福寺に駆けつけました。ところがある日、二つの寺の鐘が同時になってしまい、悩んだ犬はこれではお務めができないと嘆き、池へ身を投げてしまいました。村人は悲しんで池のほとりに塚を築き、池を犬塚池と呼ぶようになりました。